【熟年再婚】2度結婚してわかった5つのこと

子どもの頃から「女の子は結婚しなくちゃ!」と親に言われながら育った世代。自分は大人になったら、結婚して子どもを産んでお母さんになることを目標に生きていたような気がする。

1度目の結婚を26年で終わらせて、その4年後に2度目の結婚をした。

2回とも「幸せにしてもらおう」と期待して結婚しましたが、現実はちがいました。

その1「恋心」は思い込みや勘違いによってつくられている

お付き合いしている時は(恋愛中)は相手も自分も前のめりで向き合うためにお互いの「良いところ」がクローズアップされてくる。どんどん気持ちも高まり「この人しかいない!」となって、結婚を考えるようになる。

しかし、結婚生活に入ると「高まった気持ち」はほとんど「思い込み」や「勘違い」であったことに気づく。その自分勝手な思い込みや勘違いが「恋心」なのだと思う。自分の中で「恋心」が生まれることは幸せなことであるが、それは永遠には続かない。むしろ生活になると「一瞬で消える」と言っても過言ではない。

「恋心」が生まれて、結婚に至ってもその気持ちが続くことはほとんどない。

その2 一緒にいる時間は増えるほどケンカや我慢も増える

「ずっと一緒にいたい」と思って結婚しているはずだが、ずっといっしょにいると、相手の悪いところや自分と合わないところばかりが目に付いて、もやもややイライラが増える一方。

なんとなく、好みや価値感が一緒だなぁと思っても、生活になるとそうはいかない。生活とは毎日・毎日いろんな取捨選択が迫られる。毎日の食事や生活リズム…住居やインテリアなど、一見大したことないと思うことでも、日々話し合って衝突する。

一緒にいる時間が増えて、相談することが増えれば増えるほど、ケンカや言い争いが増えて、結局どちらかが我慢を強いられることになり小さなストレスが溜まっていく。

「一緒にいる時間が増えるとケンカが増える」ということを頭に入れて、結婚しても適度な距離や遠慮の心をもって暮らすことが大切

その3 自分を完全にわかってくれるパートナーはいない

結婚相手が「自分の一番の理解者だ」と思っている人は「ラッキーな人」でそんなことはほとんどない。前の結婚では、私は相手のことを誰よりもわかったし理解できたが、理解したとたん一緒にいたくなくなった…と言う悲しい結末になった。

理解者というのは「良いところだけをみる」のではなく、「悪いところも弱いところも全部」わかってくれて、その上それを全部受け止めてくれる人だろう…そんな心の広い、余裕のある人は滅多に存在しない。

自分のことも未だ、よくわからないのに、誰かに「私のことを理解してー」というのは不可能。自分自身も人のすべてを理解して受け入れられる人間なのかと想像すれば、ムリと答えるだろう。

その4 自立していない人には結婚生活は苦行でしかない

結婚したからと何もかも守ってくれる相手などいない。その時はバリバリ働いていたかもしれないが、人間なので、年をとり、働けなくなったり、性格も頑固になって「わからずや」になっていくこともある。

相手に期待しすぎないことが大切。ましてやパートナーに幸せにしてもらおうなどと考えてはいけない。みんな自分のことで精いっぱいなのだ。

まずは自分自身が精神的・経済的に自立して自分で自分を幸せにする力をつけておくことが大切。それができてこそ他者と一緒に生きていくことができる。

精神的・経済的に自立して、自分で自分を幸せにする力がある人が、誰かと一緒に幸せに生きていくことができる。「自立」は幸せな人生の最低条件

その5 結婚することで良いも悪いも世界が変わる

結婚したことによって体験できることがたくさんある。「子どもをもつ」「人のために家事をする」「親戚が増えてつきあいが広がる」

それは一人で生きていては経験できないことである。精神的にも時間的にも負担が増えてしんどいことも多いが、楽しいことや勉強になることはたくさんある。

これを2回経験した今、もしこれがなかったら、楽だったかもしれないが、ひどく退屈な人生だったんではないかと思う。

結婚してもしなくても自分を幸せにするのは、自分自身。自分を幸せにできて初めて人のことも幸せにできる。

自分一人では絶対に見ることのできなかっただろうという場面や景色を何度もみることになる。それを「つらい修行だ」と思うか「豊かにしてくれる学び」と考えるかをその人次第。自分が選んだ選択に不平不満ばかり言っているだけでは、どんな状況でも幸せにはなれない。

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