障害児の母親になって思っていること③

言葉の障がいと知的障がいがある息子を育てる中、いろんな育児法や療育をためしてみた。

出産時に「早期胎盤剥離」で酸欠状態で産まれた長男は救急車ですぐに県立病院に運ばれ、2カ月近く保育器に入っていた。抱っこすると「そり」が強いので、「障がいが出るかもしれません」と言われた。まず「歩けないかもしれない」と心配になる。退院してから5カ月くらいから、県立病院の中にある療育センターに通う。

療育センターの運動訓練・言語訓練に2歳くらいまで通った。運動療法士・言語療法士の資格をもったプロによる訓練。訓練と言っても相手は赤ちゃんなので、遊びの中で、からだの使い方,舌の使い方を教えてくれる。月に一度程度の訓練なので、親が覚えて家でも実践していく。

発音がなかなか良くならず、舌の先端にくびれがある「舌小帯短縮症」が原因かもと手術をすすめられ手術をしたが、改善は見られなかった。

地域のグループ療育を紹介され、週に一回に通う。ここは市の保育士による無料で通えるグループでの療育だった。グループの遊びを通しての訓練なので、子どもは楽しみにしていたし、親同士も情報交換・悩み相談にとても役にたった。未就学児対象なので、6歳まで通うことができた。

病院の「言葉の教室」は、言語療法士によるマンツーマンの訓練。料金がかかるので月に一度通った。毎回子どもの喜びそうな課題を用意してくれ、それなりに楽しんではいたがあまり効果は感じられなかった。お金もかかるのでそのうち行かなくなった。

七田チャイルドアカデミーは「障がいのある子も通える右脳教育」というチラシの文言にひかれて5歳から通う。フラッシュカードやロウソクの火を目で追いかけるという見たこともない教育法であった。創業者の「七田真」の本もたくさん読んで、勉強した。「0歳からの教育が大切」という言葉に「5歳だから遅かった…」と気落ちした。それでも家でも「フラッシュカード」や「読み聞かせ」など教室で習ったことを家でも頑張った。

公文式教室に6歳から行く。小学校までに読み・書き・計算の力をつけたかったので、家でもドリルを用意して私が、教えていたが近所に教室があることを知って通わせてみた。習慣にしてしまうときちんとやる子だったので、公文式はむいていたと思う。高等部卒業まで続けた。

いろんなところに通わせてもらったが、何が効果があったかは正直わからない。すべての経験が、今の息子を作っていると思う。

初めは療育によって、塾に通うことによって、障がいがすっかり治ることを期待したがそんなに甘いものではなかった。いろんなところに通うことによって一番救われたのは「私自身」だったのではないかと思う。私が救われることによって子育てにも良い影響を与えらえていたなら、無駄じゃなかったかもしれない。

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