【還暦目前】50代にやっておいてよかった7つのこと

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還暦を迎えた今、50代を振り返り「やっておいてよかった」と思えることが7つあります。

持ち物の数を減らす

当時の自分の生活に閉塞感を感じていたので、なにかを変わることを期待して徹底的に断捨離を実行した。数年かけて持ち物を全部見直した。

ミニマリストにはなれそうもないが、かなり所有物を減らすことができた。おかげでかなり身の回りがすっきりした。

一番影響を受けたドミニック・ローホーさんの本

数年かけて断捨離をおこなって得たものは、物を減らすノウハウだけではない。お金の使い方・時間の使い方・人づきあいや自分の感情の使い方…すべてが一変した。それは、その後の生き方にかなり影響を与えてる。

断捨離をしたことで、シーズン中に同じような服を買い過ぎないことや、物や食材を無駄にせず使い切るなどの習慣が身についた。一見地味に思えるこの習慣は賢く暮らす大きな武器になっている。断捨離は一度はやってみると良いと思う…価値観や人生観が変わる。

※やましたひでこさんの断捨離の本は断捨離を成功させるやる気を維持させるのにとても役に立った

親の介護

姑と母の介護が40代後半から50代に後半まで続いた。二人とも認知症。姑はアルツハイマー型認知症を発症して、2年近くウチで暮らしたが、その後介護施設に入所した。

実家の母も70代後半で認知症を発症…母はレビー小体型認知症だったので、進行が速く発症して3年もたたずに老衰で亡くなった。

親たちの老いと死は避けて通れるものではない。親が苦しんでる姿や変わっていく人格を見ることは辛く悲しく、なんど号泣したがわからない。そして今でも80代の元気なお母さんと旅行に行った友人の話を聞くとうらやましいし、母にもっと元気に長生きしてほしかったと思う。しかし、介護が自分自身が体力的にも余裕のある50代のあいだに完結したことはよかった…っというか助かったと思ってる。

介護は精神的負担に加え体力・経済力も必要。収入も減る60代に親の介護がのしかかってきたら私はかなり辛かっただろうと思う。

子どもたちの自立~子離れ

私の人生にとって3人の子どもの存在がなによりも大切で、3人ともをずっと手元に置いて守り続けたいと思っていた。実際は子どもたちは私の助けなどは必要としていないのに、すべてを把握しておかないと不安で仕方がなかった。その3人の子どもたちが私が54歳の時にいっせいに私の元から離れていった。

長女は「一緒に暮らしたい」と彼氏を連れてきた。長男は「職場が新しく作ったグループホームに入ってみたい」大学に入った末娘は「通学に時間がかかるからアパートを借りて一人暮らししたい」と言い出した。わずか5カ月で私は一人ぼっちになっていた(笑)

この時私は、絶望的な気持ちにおちいり、毎日めそめそと泣いていた。「鳥の巣症候群」は想像以上につらかった

しばらくして気持ちが落ち着いてくると、私がいかに傲慢な母親であったが、子どもの自由を邪魔しかねない存在であったかが、よくわかった。かわいく大切な子どもたちではあるが、いつまでも抱え込んでいては子どもにも私にもよくないことだと気づくことができた。

今、振り返るとあの時に3人が私から離れてくれて、そして私が、子どもの行動を邪魔せずに送り出すことができて本当によかった。

子どもは親の元を離れていくのが、一番自然で健全な形なのだと今になるとよくわかる。

今は遊びに行ったり、食事に行ったり、良い距離でつきあえている。

個人経営の仕事を引退しパートに転職

39歳から公文の教室を運営してきたが、いろいろなことがあり続けていくのが困難になり、54歳の時に引退し、福祉施設で一日5時間のパートの仕事に転職した。

自分が経営者だと責任をもって運営する必要があり、体調が悪くても出なくてはいけないし、売り上げも気にしなくてはいけない。そういうことがどんどんしんどくなってきていた。やりがいのある仕事ではあったが、それ以上にストレスが多くなった。

無理がきかなくなり、自分の身体や心を労わりたい年齢になったのだから、働き方もシフトチェンジした。私にとってはこの選択がベストだった。

その後、近所の学習塾でスタッフとしてアルバイトしている。今は気楽なアルバイトで大好きな仕事に携われて、楽しく働いている。

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デジタルの力をつける

50歳なったときにはまだ「ガラケー」を使っていた。子どもたちが使っているスマートフォンを横目で見ながらも自分自身が使うことはないだろうと思っていた。

しかし、携帯電話会社でガラケーを扱わなくなると聞き、慌てて一番簡単なAQUOSを購入してスマートフォンを使う生活になった。これはかなりカルチャーショックを受けた。

YouTubeを先生にスマホの使い方をたくさん勉強した。

あれから約7年スマートフォンは3台目になる。メルカリやQRコード決済・ネット銀行に口座を作り、証券口座を作り、iDeCoやNISAを始めることもできた。パソコンを購入して、ブログも独学で始めた。慣れないカタカナや英語の用語ばかりでかなり苦戦したが、一つずつできるようになると、それは自信につながった。

デジタルを使いこなせるとより豊かに暮らせる。これからも新しいものに興味がわいたら、億劫がらずに挑戦したい。

離婚…26年の結婚生活に終止符

お見合いで結婚して3人の子どもに恵まれて経済的にも安定させてもらって、それなりに幸せにくらしていた。毎日毎日あわただしく、突っ走ってきた感じだ。しかし、なんとなくパートナーとの相性について疑問に感じていた。

言葉で「どこが合わない」って説明できないんだが、「一緒に生きている」という実感が全く感じられなかった。子どもたちがいてあたたかい家庭をつくることはできていても、二人になると違和感しかなかった。いろんなタイミングが重なって(子どもの進学だとか、姑も介護の区切りとか)もう別れよう…と思った。50歳だった。

「それくらいなら我慢したら…」言う考えもあるが、我慢は自分にとっても相手にとっても失礼なことに思えた。

離婚したことは大正解だった。一緒に暮らしていた時は悪いところばかり目についていたが、別れたことによって「私のパートナー」ではなく「子どもたちの父親」になり、逆に良いところも認められるようになった。

自分の中から、元の家族に対する負の感情が全くなくなった。これは本当に爽快なことだ。しかしやっぱり離婚にはエネルギーが必要…決断するならなるべく若い時がいいとは思う。

車を使う生活から「歩く」生活に変えた

福井から京都に引っ越すことで、車を使わない生活に変わった。車の便利さを知っている私はこれは本意ではなかったが、交通量の多い都会で車を運転する自信がなかったので、致し方なかった。

移動方法は、電車・バスなど公共の乗り物。ゴミ捨てや近所のコンビニでさえ車で行っていた生活が一変することでものすごく「歩く」ようになった。

通勤や買い物など毎日普通に生活しているだけで、「5000歩」くらい歩いている。

そういえば、母は53歳の時に車の免許をとった。公共の乗り物のない田舎だったので、車は必需品ではあったが、60代で腰が曲がりまったく歩けなくなった。それにくらべて都会に住んでいる母の姉は80歳過ぎても颯爽と歩き旅行や観光を楽しんでいた。歩くことはとても大切だ。

「歩くことは大切」と思っていても、不便な田舎ではなかなか実行することができない。都会に引っ越し、車を使わない生活になってよかったと今は思っている。

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