「親が、年老いているので、週に一度とか月に一度とか、様子を見に行く」という話をよく聞くようになった。友だちも長年、神奈川から大阪まで親の様子を見に行っていたが、今の職場の同僚もそういう人が何人もいる。一人の人は京都から四国まで親の様子を見に行くらしい。
大変そうだが、会いに行くお母さんがいて良いなぁ~と本当にうらやましい。
母が亡くなって4年になる。
いっぱいお世話になって、いっぱい親不孝した。
両親を思い出すとき、なぜか親をびっくりさせた、心配かけたことばかり思いだすので、私としては結構しんどい。自分としては孝行娘のつもりだったが、ひとつひとつ事柄を思い出すと親不孝で胸が痛くなるほどだ。
その中でも特に忘れられない思い出の一つに高校時代のことがある。
ある日、友だちがお弁当にオムライスを持ってきたということを家に帰って、母に話していたら、次の日の朝、母は私のお弁当にオムライスを作っていた。
それを見た私は、「こんなものいらない」と怒った。
友だちのお弁当箱に入っていたオムライスはお店で見るような楕円形でかわいい形だったのだが、母は四角い弁当箱にケチャップライスを入れて、四角い玉子焼きをかぶせてあった。私からしたら、友だちのまねをした上に、こんなかわいくないオムライスを友だちに見られたら、恥ずかしい…と思った。
その時、気の強い母が、涙を浮かべていたのを、今でも胸の痛みを伴って度々思い出す。結局、私はそのお弁当をもって学校に行ったが、その日は友だちと食べずに一人で食べた。
今なら、笑って「ありがとう」と言えるし、友だちに「うちのは四角くてちょっとかわいくないけど…」といじりながら、楽しく食べれると思うが、あの時は甘えと反抗期を加わって、ものすごく母を傷つけてしまった。
その他にもたくさんたくさんのわがままと非礼、そして裏切り…よくよく嫌にならずに、ずっと献身的な母でいてくれたなぁと感謝でしかない。
晩年、よく電話で呼び出され、娘たちは「お母さん、おばあちゃんに振り回されてるな」と笑っていたが、そんなことじゃ全然足りなかったんだよ。
亡くなって4年経つが、母を思い出すとき、まだ後悔や悲しみで辛い気持ちになる。楽しい思い出もたくさんあったはずなのに。
介護施設に面会に行ったとき、「おかあさん」ってよんだら、「私ちがいます」と言って逃げられた。心配ばっかりかけられてうんざりしてたから、もう、私の親であることを本能的に拒否したのかもしれない。(泣き)
この雑誌とてもよかった⇩⇩⇩
にほんブログ村