私はずっと母の近くにいた。独身時代は家から学校に通っていたし、両親の引っ越しに反抗して1年ほど一人暮らしはしたが、すぐにお金が尽きて母の元に戻った。
車で20分くらいのところに嫁ぎ、子どもを連れて月一で里帰りした。私が39歳の時に始めた仕事も「手伝ってあげるよ」と10年以上無償で手伝ってくれた。
めちゃくちゃ気が合うというわけではないが、しっかり者で、なんでもそつなくこなす母は私にとって一番頼りになる信用できる人だった。
母が70歳過ぎたくらいから、なんとなく親子の関係が逆転する。歩くのもしんどそうだし、しっかり者だった母には考えられないようなまちがいをしたり。「あぁ労わってあげなくちゃいけない年齢になったんだなぁ」と思った。
大病こそしなかったが、しょっちゅう病院に付き添った。家には母より11歳年上の姑がいて、その姑もアルツハイマー型認知症を発症していたので、私の生活は年老いた親のお世話でバタバタしていた。…と言っても、まだ二人とも自分のことは自分でできる状態で、楽しい会話もあり、それほど負担には感じなかった。
しかし姑は認知症がどんどん進むと、わけのわからないことで、家族の生活をかき乱すようになった。「娘にお金をとられた」とか「孫が悪いことをしようとしてる」とか「嫁に毒殺される」とか、サスペンスドラマの見過ぎじゃないかというほど、姑の頭の中では毎日事件が起きている。
そして一番身近にいる家族が一番の「悪者」になり、事件の「犯人」にされていく。いくら病気とはいえ、こちらも腹が立ち、手がでそうになることも一度や二度ではない。
本当の事件になりかねない。そして「おばあちゃん、いなくなってくれないかなぁ」と頭をよぎったりするのだ。
姑はその後、足を骨折して車いすになったので、家族会議を開き、知り合いの介護施設に入所することになった。
この経験をした後に、実家の母が、レビー小体型認知症と診断された。母は私と一緒に生活したかったかもしれないが、その時の私の気持ちは「絶対に無理」だった。
母と暮らしても姑に感じたように手がでそうになったり、「いなくなってほしい」と願うだろうと想像できた。そんな関係はお互いに不幸だと思った。それなら施設にお世話になり適度な距離で優しく母に接したいと思った。
母を施設に入れることで、後々後悔するかもしれないという気持ちもよぎったのは確かだ。母の介護から逃げたと自分を責める気持ちもわいてくると思われた。
そして、一番の誤算は母を施設に預けた途端コロナ禍になり、面会がほとんどできないまま、母が亡くなってしまったことだ。ほんとうはもっと頻繁に面会に行き、適度な距離で、楽しい時間をつくるはずだったのだが。
母が亡くなって4年経つが今もたまに「お母さん、あんたに看てほしかったわ」という母の声や「もっとがんばれたんじゃないの」と、もう一人の私の声が聞こえることがある。
介護には人それぞれいろんなケースがあり、どれをとっても辛い思いが残るのではないだろうか…
私の言いわけは、母が元気な時にたくさん楽しい時間を一緒に過ごしたり、自分なりの親孝行もした。トータルでは私はいい娘だったよ!と自分を慰めることにしている。
「認知症ポジティブおばあちゃん」という動画を毎週見ている。ウチも子どもたちがいてくれたことで、母たちとのかかわりに笑いもあり、介護が暗くならずに助かった。動画を見ながら、「そうそう、こんなことあった」と懐かしく思い出したりしている。
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